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ボクココ

サービス開発を成功させるまでの歩み

自分なりの平和構築に向けたアプローチ (長文)

前期でこの授業を取って良かったと思っている。世界の現状についてこんなにも考えることができたし、一緒に考える仲間も少し増えた。 最終レポートとしてこの究極のテーマが与えられた訳なので、考えた結論みたいなのをここに記し残しておこう。
前半の部分は図書館から借りてきた本の感想文的な感じになっちゃってますが、ご了承ください。




現在、研究や実践が進められている紛争予防・平和構築について具体的な例をあげながらその問題点や限界についてまとめたうえでどのような紛争予防・平和構築のアプローチが必要だと考えるか述べる

私は「紛争と人間の安全保障-新しい平和構築のアプローチを求めて-」という本を手に取った。武力紛争における人権擁護の問題が複雑であることから、解決策も複雑になってしまう。本書の中で具体的な平和構築に向けての進むべき道として、少なくとも以下の3点が必要になるとして記載されていた。

1、 国際社会のすべてのアクターが、国際人道法の諸規定に則った戦争中の行動基準を受け入れて、それを再肯定し、普遍化させること。
2、 各国は交戦中に市民を保護できるように戦争を遂行するための戦術的能力を強化する
3、 国際社会は治安を確保する能動的な措置をとる

始めから順に見ていこう。
>「1949年のジュネーブ条約が広範囲な批准を得て、慣習国際法としての地位を獲得してい>るが、市民の保護に関してさらに厳密な基準を持つ1977年追加議定書はそのような地位を得ていないままでいる。国際社会は非国家アクターに自らの戦場での行為に対する責任を取らせる方法を見つけ出し、彼らが市民に対する意図的な攻撃や不注意な暴力を自重するように仕向けなければならない。さらに紛争の一形態としての市民に対する攻撃の復活や先進的な軍隊に対する盾として市民を利用することは、既存の規範の遵守を徹底する必要性とともに、新しい傾向に対処する新しい国際規範の必要性も示している。」

 この初期に制定されたジュネーブ条約に関して調べてみると、大きく分けて傷を負った人の治療と文民の保護という二つのことしか規定されていないことがわかった。もちろん戦争・紛争が起こってしまった場合にはその戦時中にいる人々の保護は最低限必要であるし、この戦いに関係の無い一般市民が犠牲となることは断固として避けなければならない。そう考えるとこの方針は正しいと私も感じている。現在では細かく規定した追加議定書がしっかりと守られていない現状があるため、もしこのジュネーブ条約を破った国がいた場合には徹底的に国際社会が追及していく必要がある。警察が犯人を逮捕し、それを報道していかなければまた同じ過ちが犯されるのだ。
しかし、私は本当にこのことに関しては「最低限」としか思っていない。平和構築に向けて、ということを考えるのであれば、そもそもこの戦争・紛争を無くすにはどうすべきかというのを私は考えていきたい。


次に2について考察する。
>「必殺ではない(非致死的・致死量を超えない性能の)兵器の開発は、市街地でより人道的に戦う歩兵戦術の発展と同様に、この分野で大きな可能性を秘めている。武力紛争下で市民を保護することが持つ人道的価値をさらに上回る戦略的な価値が認識されれば、そのような兵器と戦術に対して投資を行う国々も現れてくるだろう。」

 私はこの第二の提案に関して疑問を感じている。要は戦争で使う武器を死なないものにしようというものだが、先ほどと同様にこれも戦争の根本的解決とは言えないし、さらに攻撃を受けた人々は加害者に対し、いつまでも恨みを持つことになるからだ。これによって両者の間での解決がさらに長引く可能性が非常に高くなってしまう。致死量を与えない程度の争いの間に政府が争いを止めるように宣言すればよいが、戦争・紛争の原因は複雑で、そう易々と解決できるものではないと思っている。


最後に3について考える。
>「3には二つの方法が考えられる。第一の方法は国連安全保障理事会が市民の人権に対する脅威を国際の平和と安全に対する脅威として認識し、必要な場合には市民を保護する追加的な平和維持任務を授権すること。第二の方法は、当該国家の政府が、紛争地帯での安全な環境を確保するために今まで以上に努力し、無法状態と結びついた人権侵害から市民を保護することである。」

何でも規定を作ってどうにかするという考えが安易で危険なように思える。 日本の場合、重い犯罪はあまり起こらず、そのお陰で警察がその犯人を捕まえて次に同様のケースで事件が発生することを防ぐことが可能だ。しかしこれが犯罪が多発する国に目を向けてみたらどうだろうか。重い犯罪が多発する地域では、それぞれの犯人に対し力を入れて捜査していくことは不可能だ。それによって事件の再発を防ぐことが出来ずにまた同様のことが起こってしまう。現在、戦争を行っている地域のほとんどはこのような国なのではないか。そう思うと規定を作れば解決、という訳にはいかないと私は思う。よって私は3の二つの方法の内、後者をまず徹底的に行うことで、前者が活きてくると感じている。
今まで以上に努力して無法地帯の市民を保護するには、人の増強が不可欠である。そこで平和のために働きたいと考えてくれる人々を増やすにはどうすればよいかというのを私なりに考えたので、以下に記載する。

私の考える「平和」と平和に向けたアプローチ
ここからは普段から考えている私の思いと、講義を受けてみてさらに考えたことを、思うがままに書かせて頂きたい。序盤は「平和」というテーマから少し離れてしまうことをお詫びする。

平和を考えるようになったきっかけ
そもそも私がこの講義を取ろうと思ったのは、人生と死について考えてみたことから始まる。私はいつか死ぬ日が訪れるのかと考えてみると、たまに恐ろしくなることがある。今の世界にいない?ずっと寝ている状態だと思えばいいのか?だが寝ることがずっと続いているってのはどういう状態だろう、と。そう悩んだ末に出た結論として、そのようなことを考えてもキリがないということだった。死んだ後のことは死んだときにしかわからないのだから。そこで、いつか来るその時までに一体どこまでの自分になると、「満足に生きた!」と思えるだろうか、という考えに向かっていった。私にとっての後悔しない生き方とは何だろう、と考えてみた。
それに関連して自分のちっぽけさを身にしみて感じることがある。こんなにたくさんいる人間のたった一人の存在。こんなに長い歴史の中のたった数ページを生きている存在。人間は時代の流れに流されながら生き、そしてやがて死んでいく。私はそれが怖くなった。しかし、だからこそせっかく生まれてきたから私は「生きていた証」を残したいと思った。そうすることで時代の流れに流されずに釘を打つことができる、それが「満足に生きた!」と思える後悔しない生き方なのだと自分なりに結論付けることができた。
つまり、何かを残すことで100年後の10人でも1人でもいい。「この人のおかげで、今こうなっているのか。」という言わば教科書に載るような人物に、規模が小さくてもいいからそういう存在になりたいということだ。もちろん本当にそれができたか、という確認はできない。だが生きている間にそうなれるような可能性をたくさん残すことは可能だ。そしてその方法の手段の一つとして、世界平和に貢献するということが私の中の思いの1つとして存在し、この授業を取ることとなった。
これから平和に向けてやるべきことは「インターネット」の活用である
私は来年からインターネットの技術者になる。その観点から平和をよく考えるようになった。始めに結論を言うと、これからの平和へのアプローチはインターネットが鍵になると考えている。従来の戦争が広まって行ってしまう原因は、メディアが単一方向性のものだったからと言える。テレビやラジオは政治に流す内容を規制され、自由な報道というものができなかった。例え間違っている・おかしい内容だとしても、政治のトップの発言にしか国民は耳を貸すことができなかったのだ。そしてそれを批判する内容は規制され、メディアを通じて報道することができないのである。
そもそもなぜメディアが戦争の解決に繋がるのかというと、それによって全世界が戦争を行っている国の存在を知り、それに対して全世界の人々が加害国を批判したり被害者を支援したりすることが可能になるからである。逆に戦争は従来の単一方向のメディアがあるからこそ、指導者の意見が通りやすくなり人々の行動が変わってしまうのである。
インターネットが従来のメディアを変えた。誰もが自分の意見・情報を発信することが可能になったのだ。このことにより、情報を受ける側からすると選択肢が増えたことになる。その無数にある情報の中から、受信者は自分の納得する考え、意見を探し出すことが可能だ。そうして間違った意見に向かわないようにしていくことで、戦争・紛争という最悪の事態を免れるようになっていく。
まずは、そうするためにインターネットを世界に広める必要がある。そしてグローバルな状態で各国の意見をぶつけ合わせることができる環境を作っていく。また、その部分でインターネットの回線が繋がっていない国に対して支援を行っていくことも重要だ。このような状態に持っていくため、インターネット企業で働くことになる私に可能な平和に向けたアプローチは、インターネットの便利さをより多くの人に知ってもらうことだと思っている。

戦争がなぜ起こるのかを考えた時に、原因は様々だが単に「喧嘩」の延長線上のような気がする。10人の間でさえ、ずっと一緒に生きていれば何かしらいざこざが生じる。それが60億の世界に目を向けたらそんな喧嘩なんて当たり前に起きる。そこでその喧嘩を戦争・紛争まで広めない為にはどうしたらいいのかというと、喧嘩の手段として人を殺すという選択を無くせば良いのである。それには昔から培う教育ははもちろん、他にも周囲の助言をもらうということも考えられる。外国からの助言を得るにはインターネットが一番便利で速いのである。インターネットこそが平和への解決に繋がる一歩となる。

日本が変えていかなければならないこと
日本は従来、戦争が起こった国に対して金を送ることで支援してきた。しかし、これは逆効果なはずだ。これらのお金は政府の上の方の人たちにしか行きわたらず、国民のほとんどは恩恵を受けることができないのが現実だからだ。 その国の国民は「なんであいつらだけ楽な生活してるんだよ」と思うだろう。そうなると反乱が起こり、情勢が悪化していく。だから平和じゃないと言われている国に対して、お金で支援すべきではない。代わりにどうすべきかというと、ノウハウだ。
日本は戦争に負けた。その時は全員が貧乏だった。だから全員で頑張っていこうという結束があった。その時は貧乏だけどみんなが一生懸命でよい経済を作り上げていったのだ。他の発展途上 国もそうやって発展していくべきであって、日本はそういう経験をしたのだから他の国にも同じようにしてあげるのが最良の策ではないだろうか。 それがインターネットのノウハウであれば理想とまではいかないが、良いことだと思う。
平和とは戦争の無い国のことか?
平和の定義を考えてみて、おそらくすぐに思いつくのは「誰もが幸せになれる世界」という答えではないだろうか。私もはじめはそう考えていた。だがこれには現状として反例がある。
最も大きな例は宗教だろう。NY同時多発テロは多くの犠牲者を出した。アメリカの人々、そして全世界のほとんどの人間は悲しみに明け暮れた。 だがその一方でこのことを喜ぶ人間もいるのだ。戦争を聖戦と名付けて、これは良いことであると思っている人々がいるのだ。そう考えると、「誰もが幸せ」という状態を作るのは不可能ではないのだろうか。
もっと身近な所を見てみよう。現在学校で紛争の地域を見ていて、もちろんこのような国は平和でないと言えると思う。それでは平和と言われている日本はどうだろう。自殺者 が後を絶たないこの国が本当に平和なのか?戦争はないけれども、自殺者の多い国は戦争をやっているのと同じくらい平和ではないのではないだろうか。
誰もが幸せを感じる平和が訪れる確率は極めて低いと言っていいだろう。だが私なりの意見だけども解決策はあると思っている。それは、教育によって、インターネットによって人々の考えを徐々に一つにしていく方法だ。 時世代を担う子供たちや、技術が変われば世界も変わってくる。その前提条件としてまずはお互いを認め合う。そして段々と世界が一つの共通の考えを持つようになった時、真の平和が訪れると信じている。無理だとしても、それを目指すことで近付ける努力をして、平和の実現を目指していきたい。