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ボクココ

サービス開発を成功させるまでの歩み

"見て盗め"の真意について

雑談

ども、@kimihomです。今日は教育とそこから学ぶ人生について。

例えば寿司職人とかの見習いがずっと皿洗いしてるのを、"見て盗め" と言われずっと修行し続ける話がある。これはあまりにも非効率で、早く教えてさっさと独立したほうがいい、という意見が少なからず出る。

ではなぜ、このような慣習?とでも言えるべきものが何年もの間、受け継がれているのだろうか。そりゃあ、寿司職人の人だって、とっとと寿司の握り方教えて戦力にしたほうが良いだろう。皿洗い専門だったら、それ用のバイトでも雇ったほうがいい。

現代社会の問題点

今、例えば何かわからないことがあるとしよう。そしたら皆さんは何をするだろうか?

ほぼ95%の人は「ググる」と思う。何も考えずにただググれば、それに近い答えを簡単に見つけられる。これは確かに便利である反面、"自らが考える"という行為を100%すっ飛ばしてしまっている。その答えがどういう経緯でそうなったのか、そんなことは知らず、ただ質問の答えだけが知っている、そんな状況になるのだ。

これはまるでテストが出た時に答えだけ覚えるみたいな、そういうやり方に近い。似たような問題が起きた時、また人はググるだろう。ここでふと考えてみると、すぐ答えが出れば、別にプロセスなんてどうでもいい。そのプロセスが気になったら、またググればいい。そういう考え方も出てくるだろう。

これこそが、完全に受け身態勢になってしまった末路だ。何をするにも、誰かに教えてもらわないと解決できない。そんな人間が形成される。だから決まったことをやるのであれば、その効果的な方法を調べてそれ通りにやるだけ。言われたことを卒なくこなせる人材の出来上がりだ。こういう型にはまった人間を育てたいのなら、すぐに答えや解き方を上が教えてあげるという方法で問題ないと思う。

主体性の重要性

"自らが考えて動く。" これがあの寿司職人の考えに戻ることになる。

私は寿司職人になったことはないからわからないが、きっと寿司は教えてもらって身につくものではないのだろう。一度教えたとして、それでマスターした気になったら、それ以降、その人の寿司は全く向上しないことになる。ただ、自らが学ぶ姿勢を身につければ、いつまでも自分の理想を追い求める寿司を握れるようになる。そうして初めて、彼は以前の寿司の先輩よりも素晴らしい寿司が握れるようになるのではないか。

すぐに教えてもらってそれで満足した寿司職人は、一生その教えてもらった人には敵うことはできない。自らが考え、そして向上する力こそが修行中に身につけなければならない考え方だ。

てことで、「何年も皿洗いだけしてるような見習いはバカ」という考えの人は短期的な成果しか考えられれない人、ということが言える。

結局どちらの人生が幸せか?

すぐに答えがわかる人生と、答えを探し続ける人生。あなたはどちらの生き方を望むだろうか。別にどちらでも構わない。価値観は人それぞれなのだから。

"旅" を例にしてみよう。ガイドブックにあるような旅の"模範解答を歩む旅"と、ガイドブックにないところにあえて行って、"自分から何かを見つける旅"のどちらが良いだろうか。確かに自分から何かを探す旅、というのは失敗もある。ガイドブックのような答えを元に行けば正解に近い。

ただ自分で見つけた旅の価値、自分で見つけた寿司の握り方、自分で見つけた生き方。そういう主体性こそ、私たちの人生をより豊かにする方法なのではない か、というのを今回の記事で考えていただけたらと思う。

私自身、今の時代でなかなかそういう生き方はむずかしいけども、少なくとも意識することで何か変えられることはあると信じつつ今を生きている。