読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ボクココ

サービス開発を成功させるまでの歩み

ブログを書き続けられる素質について

雑談

ども、@kimihom です。

ブログってのは誰でも始められる反面、記事を書き続けることが非常に困難で大抵の人は挫折してしまうことだろう。続く人はどうやって続けられるのか、私の場合について書いてみたいと思う。

ブログを書くことは教えること

"読まれる"ブログを書くことは独り言であってはならない。自分が持っているものを相手に教えることができてこそ、価値あるコンテンツになる。私は教えることが好きだからここまで続けられてきたと思っている。自分の書いた記事が Web 上のどこかにいる誰かの参考になり、その人の考えが整理されたり課題を解決できたりすることができれば私は記事を書いてよかったと感じることができる。

ちょっと個人的な経験をお話しする。

私は昔から、教えることが好きだった。中学の時に塾に通っていたから数学で先生よりもわかりやすく説明できる自信があった。だから数学の授業が終わってから黒板の端っこで友達に数学を教えていた。それがきっときっかけだったのだろう。友人がきちんと聞いて理解してくれて「なるほど〜」と言ってくれた時に得られる喜びや感動があった。その中学の友達とは今でもそうした個人授業の話で盛り上がったりすることがある。

大学に入ってから塾講師をすることになった。もともと中学数学はかなり自信があり、教えたいと思っていたので私には天職のようなバイトだった。でも、そこにいたのは中学時代の目を輝かせていた友達ではなく、親に仕方なく言われてきているやる気のない生徒たちだった。なかなか教えるのにも身が入らなかったりした。でも私はその時、一つ大事なことを気付いた。給料のために働くバイト程度の感覚で生徒を本当に教えることなんてできない。私が中学の時、なぜ私の友人たちは私の話を一生懸命聞いてくれたのか。それは私が本当に教えたいという情熱を友達が受け取ってくれていたからだと気付いたのであった。そうした思いがなければ、休み時間を割いてまで教えようとなんてしないだろう。てことで、塾講師でも必要なことは、知識ってのもあるけれど、それよりも生徒に教えたいという情熱を感情や口調で表現できるようになることだと私は思った。実際、それを意識すると本当に目を輝かせて勉強してくれる生徒もいたし、もちろんダメだった生徒もいる。それはまぁ人それぞれだけど、受け取ってくれる人はいるってのをそこで学んだ。

ブログで書くことも同じことなのだろう。私が情熱を持って書いた記事はきっと誰かの心に響く。それが全員でなくてもいい。私の中学時代の友達、塾の一部の生徒のように、この記事を読んだ誰かの心を動かし、得られるものがあればそれがブログの書く意味なのだ。

教えた先に得られるもの

教えた先に得られるものはなんだろう?アフィリエイトによる金?そんなのちっぽけだ。それを目的にしたらこのブログなんてとっくに終わっている。

私は Web の何処かにいる誰かが記事を読んだことでわかった!という感動を届けられればそれでいいと思っている。本当に興味のあることを読んでいる時ってのは、人は誰でも目を輝かせる。私はそんな人に何かを教えていいのであれば、何時間でも教えてあげたいと思う。まぁ、そこまで私が教えられることってのもそんなにはないけども。

その目的の達成に必要なのは、私の情熱が記事に反映されていることである。だからこそ私の記事は必ず自分の意見を書いているし、なぜそう思ったのかまで書くように心がけている。その熱い心こそ、読む人の目を輝かせるものだと信じて。