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ボクココ

サービス開発を成功させるまでの歩み

アイディアがパクられることを恐れる必要はない

雑談

ども、@kimihom です。

自分が特許とか著作権とか知的財産とかがクソだと思う理由を書こうと思う。

アイディアとかパクられることを恐れる人は、そのあとの改善ができない単なる思いつきだけで勝負している人だと私は考えている。なぜならアイディアがパクられたところで、改善をずっと続ければパクってるものは常に古いものになるではないか。それを恐れてこうしたアイディアにしがみつく人は、そのあとの改善ができない人なのである。

アイディアがパクられたところで、そもそものプロダクトに対するコンセプトや信念まではパクることはできない。顧客と築き上げたブランド、信頼関係、今後の開発方針。そうしたところこそが最も大切にしなければならないことである。似たようなことをしだした人を追い払うような、くだらないことに時間をかけるより自分のプロダクトをもっとよくしていく努力をすべきなんじゃないだろうか。結局、「俺が思いついたんだから真似すんじゃねーよ」という人は、そのあとの努力ができない無能な人間が言う戯言にすぎない。

自分のプロダクトで同じようなパクリが発生しても全くビビっていない。真似されようとも、自分の持つプロダクトのクオリティと同程度のものを作り上げるのは相当の時間と困難を持つことは、作った自分がよくわかっている。そんで真似されたプロダクトで一気に金をつぎ込んで広告を打ったところで、そのやり方で獲得したユーザーはロクでもないユーザーであることを私は知ってる。そういう顧客対応に時間をかけるより、理想的で自分たちが一番使って欲しいと思う顧客に精一杯のサポートをすべきなのである。だから他社がどんなことをやろうと私は気にしない。私にはそう言える自信と覚悟がある。

アイディア人間と情熱人間のどちらを大切にすべきなのか

世間は、パッと思いついたアイディアでまずは知的財産を申請し後で同じようなアイディアを思いついてやった人を陥れるような人間と、たまたま同じアイディアで思いついた人が信念を持って顧客のために開発し続ける人間のどちらを守るべきなのだろうか。今後の将来のことを考えると、明らかに後者だと思う。そう考えると、単なるアイディアや仕組みを保護するような制度って本当に必要なのだろうか。アイディアだけに固執する人ってのは、改善を続けられない信念を持たない人であり、そんな人たちのためのくだらない法律にしか私には思えないのである。

実際に大きな会社では知的財産をたくさん持とうと、社員から出た単なるアイディアに対して報酬を払って知的財産権をなるべく多く得ようと躍起になっている。たくさん知的財産を持っておけば、他の会社からアイディアに関して侵害を訴えられた時、自分たちの知的財産もあなたたちは侵害しているから、お互い様だよねっていう守りを持とうとしている。知的財産がないと守りがなくなり、結局多額のお金を支払う羽目になるという世界らしい。

私がそうした現実を知った時、そもそも知的財産という制度があるせいでこんな不毛な戦いに時間を割かなければならなくなってるんじゃないかと思った。これは単なる言い争いだ。そこで何かが生まれるようなことは何一つない。お互いがお互いを消し合うだけ、時間を消耗するだけの時間である。まぁ勝てば賠償金がゲットできるってのはあるけど、そんな金に何の価値があるのだろうか。私は顧客に正しい価値を届け、役に立つことができた証としてお金を得るべきだと思っている。そのお金こそ額はどうであれ最も価値があって大切にできるお金だ。それ以外の方法で得たお金は得てして無駄遣いすることにつながる。

話は逸れたが改めると、アイディアなんて価値はない。 そのアイディアをいかに信じることができて、実際に顧客に価値を届け続けられるかの方が大事なのだ。だから私はアイディアを守る法律がクソだと思うのである。