ボクココ

サービス開発を成功させるまでの歩み

言葉の美しさを研究する

言葉が美しいと感じる時がある。

選び抜かれた言葉、話の流れ、締めの余韻・・。美しい言葉で成り立った文章は読んでいて気持ちが良いし、文章から新しい想像力を得られることすらある。最近はそんな文章の魅力に惹かれている。完全理系型人間の私にとって、文学的センスとは無縁の世界だった。理系にとって言葉は人に正しく"事実"を伝えるためのツールであり、余計な表現をせず簡潔に伝える/伝わることが最も大事だった。私は事実だけを伝える技術書/ビジネス書を当たり前のように読み、このブログ記事も同様に簡潔であり続けていた。

やがてブログ記事をたくさん書いているうちに、良い文章とは何かを考えるようになった。読んでいて気持ちの良い文章、想像力が溢れるような文章とは何か。文章の書き方などの本を読んで勉強してみた。それと同時に、"良い文章とは何か" の観点で記事や本を読むようにして、表現の方法などを分析するようにした。「こんな表現はうちのブログにも使えそうだな」「この文章を読んでみて気分が良くなったな。理由を考えてみよう」。このように、記事自体の内容ではなく表現の分析が、今の私にとって本を読むときの一つのモチベーションになっている。

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言葉は奥深い。同じことを伝えるにしても、人の心を揺さぶるような文章になることもあれば、反感を買うような文章にすることもある。せっかく文章を書くようなことをするのなら、誰もが良い文章を書きたいと思うだろう。

志半ばの状態ではあるが、表現豊かな文章で見られる特徴について勉強したことを含めてまとめてみようと思う。

その時の情景や感情がうまく表現できている

そもそも理系文章であれば、"感覚" 的な文章は不要なものとされる。しかし、美しい文章には、読んだだけで想像力が掻き立てられる情景や著者の感情が自分にも入ってくる。このような目に見えない感情表現は、普段から色々な文学に触れていないとそもそも言葉として使いこなすことはできないだろう。だから色々な文章を読んでいい表現を体得していくしかないと考えている。

始めから終わりまで一貫している

いい文章は途中で話題が変わることがない。「A について書く」と決めたら、A に関する表現で文章の全てをまとめ上げている。途中他の話題が出てきたとしても、必ずそれは A に関連する話であり、Bが主役になることはない。一貫した文章は読者を混乱させることなく、読んでいて気持ちの良い文章となるのだ。

全てを書ききらない

文章は、人の想像力を掻き立てるサポートをするに過ぎない。そんな思いを持ちながら文章を書くと、あえて結論や結果を書かずに読者の想像に任せるようなことがある。当然 論文とかでこう書くと NG である。しかし感情を揺さぶる文章には、人の想像力を最大限引き出すためにあえて書かないというテクニックがある。

その想像力をかき立てるような文章に、人は心を打たれる。何回でも読み直したいような文章というのが生まれる。

良い視点を持っている

「吾輩は猫である。」そんな書き始めの文章が、何十、何百年もの時を経て読み続けられている。誰もが持っている当然の視点から生まれた文章ではなく、意外な視点から見られた文章というのは読んでいて新鮮さを感じることができる。

最近の表現で言えば"良い記事ネタ"ということかもしれない。皆がなんとなーく思っていたことが綺麗に文章化されていたりすると、「あ、これこれ〜」って感じで共感を生むことができる。生活の上で感じた感情をメモして忘れないようにすることが必要になるであろう。

今後のアクション

「こんなことを書いて、お前は小説家にでもなりたいのか?」と思われた読者もいるかもしれない。当然ながらそんなことは思ってないけど、ボクココは記事を読んだ後にそれぞれが考え・意見を持ってもらえるようなブログにしたいと思い続けている。

私は常に「A は B だ!」と断言し、さもそれが当然かのような書き方を"あえて"している。時には過激な表現で落ち込むようなこともあるかもしれない。しかし、そうではなくて記事を読んだ時に、「なるほどそういう考え方もあるのね。でも俺はこう思う」というような視点を持ち続けて欲しいと願っている。気が向いたらまたボクココに来て、記事を読んでいただけたら嬉しい。

今後ともよろしく、といった次第である。