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平和を考えてみる

水曜の2限にそういう授業をとっている。講師の先生は東南アジアで人々を助け続けている方で、危険な地域にも行った経験があるらしい。 すごいと思いつつ講義を聞いているものの、その体験を語っているだけで、ではどうすればこのようなことが解決できるのかを一切語らない。まだまだこれからそうなっていくのかもしれないが。


なんでこんな授業を理系の俺が取ったのかっていうと、まさしく平和について興味があったからだ。生まれながらにして今後が決まってしまうような現状は不平等極まりない。日本では大学に通っていて本業である学業を怠っている学生が大勢いる。一方で違う地域では親の病気を治すために医者になるんだ!という熱い心をもった少年少女がいるのにもかかわらず勉強ができない。そう考えると誰もが同じスタートラインから何事にも挑戦できるフィールドの存在が必要だと思うようになったのだ。


でも同じスタートラインってだけが平和な訳が無い。本当の「平和」って何なのだろう。おそらくすぐに思いつくのは「誰もが幸せになれる世界」という答えではないだろうか。俺もはじめはそう考えていた。だがこれには現状として反例がある。
最も大きな例は宗教だろう。NY同時多発テロは多くの犠牲者を出した。アメリカの人々、そして全世界のほとんどの人間は悲しみに明け暮れた。 だがその一方でこのことを喜ぶ人間もいるわけだ。戦争を聖戦と名付けて、これは良いことであると思っている人々がいるのだ。そう考えると、「誰もが幸せ」という状態を作るのは不可能ではないのだろうか・・・。
もっと身近な所を見てみよう。現在学校で紛争の地域を見ていて、もちろんこのような国は平和でないと言えると思う。じゃあ日本はどうだろう。自殺者が後を絶たないこの国が本当に平和なのか?戦争はないけれども、自殺者の多い国っていうのは戦争をやっているのと同じくらい平和じゃないんじゃないだろうか。


誰もが幸せを感じる平和が訪れる確率は極めて低いと言っていいだろう。でも俺なりの意見だけど解決策はあると思う。それは、教育によって人々の考えを徐々に一つにしていく方法だ。 どれをどうやって統一していくかなんてのは全然考えていないから具体的に言えないけど、時世代を担う子供たちが変われば世界も変わってくるんじゃないかな〜。まずはお互いを認め合う、そして段々と世界が一つの共通の考えを持つようになった時、真の平和が訪れると信じている。無理だとしても、それを目指すことに意味があるはずだ。


次回はそもそもなんでこういう平和について考え始めるようになったのかを下き残そう。 完全に自己満ブログになりつつあるw。