ども、@kimihomです。
さて、前回割と好評? だった教育シリーズ。ちなみに前回の記事はこれね。
そんで今回見つけた記事は、こちら。なんとも興味深いテーマである。
「なんで勉強しないといけないの?」って子供に聞かれたらどう答えますか? - 春からITベンチャーで戦う16卒のブログ
これは親の教育方針によるんだろうけど、私なら子供に自由を与えることが最も重要だと思っている派なので以下になる。
自分の夢中になれるものを見つけるためだよ
これだ。これこそ勉強する目的だろう。夢中になれるものが見つかったら、勉強は受身でなく主体になる。夢中になれるから自分から必要な知識や能力を考えて勉強できるだろう。それがたとえ頭を使うようなものでもない場合でも(サッカー選手とか)、それを本気でやれるなら応援したいものだ。本当に夢中になれるならサッカー選手になれなくてもサッカー関連の仕事だってたくさんあるのだから。親はひたすら夢中になれるものをサポートすべきというのが私の考えだ。
こういう話になると、"学歴" というが、私は学歴を全く信じていない。頭を使うプログラマーという職業で私は働いているが、会った中で最も優秀なプログラマーは東大でも慶応でも東工でもなく、日大だったりする。そんな世界だ。本当に子供の頃の受験勉強ほどくだらない制度はない。あれで優秀な人なんて、ただ言われたことを卒なくこなせる能力に過ぎない。全教科が平均90点取れる人の方が1科目100点取れる人より評価される世界だ。そんなオールラウンダーになって何の価値があるのだろうか。
んでこれって仕事の世界でほとんどそうだと思うのよね。公務員とかよく分からないところじゃない限り、自分から進んで勉強して、何かに突出した能力を身につけた人が評価される世の中になる。というかもうその時代が来ている。
最大の難敵 "ゲーム"
さて、ここで最大の敵を紹介しよう。ゲームだ。「今はゲームに夢中になっているよ」と答えてきたらどうすれば良いだろうか。これこそ現代社会最大の問題だ。ゲームの存在により、ニートが存在するといってもいいと思ってしまうくらいだ。
ここでもう一つの判断基準が必要だ。何かに夢中になれたとしても、誰かの役に立たなければ、何の意味もない ということを。
人は助け合って生きている。みんながゲームに夢中になったら誰が食事を作り、誰が交通を回し、誰が電気を作るのか。自分のやっていることが誰かの役に立っていない限り、それは生きているとは言えないんだ。
"夢中になれるもの"というのは不十分で 誰かの役に立つために夢中になれるもの これを探すのが勉強の目的だと言えるだろう。
ゲームで人の役に立つことがあるよ!と反論してきた場合には、ぜひその理由を聞いてあげてほしい。もし本当にそれが納得できるのであれば信じてやらせてみるのもアリだろう。 とにかく親は信じることが必要だ。放っておくって意味ではなくてね。
終わりに
もっと誰かの役に立つことの重要性を伝えられたらいいんだけど、まだその明確なところまで持っていけていない。私はあくまでこういう意見だということで許してちょ。