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上司と素直に話すことについて

ども、@kimihom です。

たいていの社会人には上司という存在がいるはずだ。そして何かしら上司の不満を抱えながら、我慢して働き飲みの場で愚痴をこぼすといった姿が日本の社会として見受けられる。本記事では上司に言いづらいことに対して実際に私がやったことと思っていることについて記してみる。

上司と素直に話すべき理由

私が社会人になりたての頃は、正直に言ってかなりの自信家だったのかもしれない。

当時の私は、相手がどんな上司だとしても自分が正しくないと思ったことは理由と共に全て口にしていた。相手にどんなにめんどくさい存在だと思われようとも、自分が我慢し続けるというのは耐えられないと思っていたからだ。理由を口にすることで、相手はどう思っているのかを知って落ち着くこともあったし、徹底的に話し合ったこともあった。つまり、相手からしたら"めんどくさい部下"って思われていたことだろう。

ぶっちゃけそれでクビになったところで、全く問題ないと思っていた。クビになったら他でいくらでも就職できる自信はあった。だからこそなんでもできたってのもあるかもしれない。私が入社して以降、同じように何でも意見を言う尖った新人はそのあと出てこなかったことを考えると、やはり特殊なパターンだったように思う。

実際に上司に思うことを素直に言ったところ、かなりの割合で共感してくれる仲間がいた。「お前の意見に俺は賛成だから、どんどん言え」みたいな感じで励ましてくれる人がいた。そして共感してくれる人たちと結束しながら、組織をより良いものに自分から変えていこうとした。組織が大きければ大きいほど、単なる新入社員の意見なんて無視されがちだけど、それでも何も言わずに我慢するよりかは言って納得する結果を得たほうがよっぽど良いのだ信じていた。

だから私は飲み会とかで愚痴をこぼさないで、逆にどうしたら良くなるのかを考えて行動に移していた。これが本来あるべき組織としての正しい行動だと思っている。行動してみて変わらなければ、その組織はそういう体質だと諦めて、とっとと辞めたほうが自分のためでもあるしその組織のためでもある。悔しい思いをしたのなら、それを見返すくらいの成果を他の場所で上げればいいだけなのだ。

めんどくさい部下こそ将来性を感じる

私が塾講師をしていた頃、何でも質問をしてくる生徒がいた。説明をしていると、"なんで?" と事あるごとに聞いてきた。実際は本人がその "なんで?" を突き詰めるべきだとは思うが、塾講師という立場上、私はそれにできるだけ応えようと質問に答え続けた。塾講師からすれば彼はめんどくさい生徒だろう。わざわざ説明していたらキリがないので答えることを諦めたりすることもあるだろう。でもそういう"問題を突き詰められる"人ってのは、何においても考えられる術を持っているように感じる。

組織においても同じことだ。何かしらの違和感を感じた時に、相手が誰であろうと "なんで?" と疑問を投げかけられる人物。そして自分が正しくないと思ったら、正しいと思うことを実際に行動に移すことのできる人物だ。

その人の違和感がずっと続けば、結果として組織に合わなかったということは否応にして出てくる。しかし、その人の考えと組織の考えが一致した時、その人は半端ない力を発揮するポテンシャルを秘めていると思う。何かに我慢し続けているだけでは自分の力を100%出し切ることは到底不可能だからだ。

上司のいない世界

私は現在、上司のいない職場にいる。働く人たち全てが対等な、そんな仕事場だ。1人1人の発言全てが対等で、対等に評価される。自分が正しいと思うことは正直に言えるし、相手も自分の発言が正しくないと思えばそれを言ってくれる。

そして私は思う。そもそも上下関係こそが諸悪の根源なのではないか? その人たちの能力や経験で評価が変わることはあったとしても、話すときは常に対等な組織体系が理想なのではないか?誰もが問題を突き詰められるようになれば、自然と課題の根本解決を実現してより強力な組織になっていくのではないか。これは単に当事者意識とも言い換えられるだろう。

終わりに

自分が正しくないと思ったら、それを我慢せずに素直に言ってみよう。そしたら同じことを思っていた仲間が協力してくれるし、正しい方向へ進んでいくかもしれない。上下関係がそれを邪魔しているのなら、そんなのは取っ払ってしまって、正々堂々と言えるような環境づくりが必要だ。上下関係を気にせずに何でも意見を言えるような人材を大切にして、育てていけるような文化こそが組織を強くするだろう。

もちろん採用の時点から気をつけるべきことではあるけども、それ以外のちょっとした細かい部分で摩擦が大きくならないようにするためにも、今いる社員がなんでも言えるような組織を目指していくことは、とても大事なことであるはずだ。