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仕事が全てという考え方

ども、@kimihom です。

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「仕事は、人生のうちのほとんどの時間を占めるのだから、これを充実させることに全てを注ぐ価値はある」という考え方がある。かく言う私も、そのようなマインドで仕事に全てを打ち込んできた自負がある。

今回はその考え方について最近思っていることを記そうと思う。

一つのことを極めるという正義感

一つのことを極めて、まだ誰も到達したことのない世界を体験・創造したい

素晴らしいと思わないか。これぞ男のロマンと言ったセリフだ。それを見つけられた人は、思いが途切れない限り磨き続けられる。続けることによって、まだ誰も到達したことのない地点に降り立つことができる。もちろん達成できるかどうかは定かではないけど、実際 そのことだけに打ち込んで本気になればなるほど成功確率は上がる。合間で何か邪魔が入った分だけ、その達成を遅くさせる。

よく「いろんなことを経験したからこそ、今の自分がある」って言う人がいる。これは一つのことを極め続けている人からすれば「途中の誘惑に負けまくって、何も極められていない人」っていう風にしか見えなくなる。

一つのことに集中し続ける生活を続けると、「集中こそ正義」という価値観になりがちになる。 "達成してやり遂げる。どんなに辛くてもやり遂げることで全てが報われる" という考え方であれば、極めることが正義なのだ。

仕事も楽しむし、他のことも楽しむ

極めるってことに対して、それはそれで正しいかもしれない。けれども本人にとって最良の選択なのだろうか。子供の頃からスケートに打ち込んで、他のことは何もさせない教育みたいな話だ。

他のことも楽しんで人生を豊かにするって考え方もある。そしてほとんどの人はこの考え方に属すのだろう。

最近私は" うん、そんな考え方も悪くはないのかな" と思い始めている。

これも私が歳をとって考え方が変わってきたからなのかもしれない。いや、その一つこのことを極めるってところに一つ満足感を感じたからなのかもしれない。じゃあ具体的に新しくどう変えていくかってのは、これからのお話である。

どこに向かったとしても、僕はここにいるのである。