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論理的思考(ロジカルシンキング) を考える

ども、@kimihom です。

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今回の首相選挙は、ロジカルに国民を説得させることに重点を置いている候補者が注目されている(誰とは言わない)。ちゃんと国民が納得した説明ができれば、新しい政策もうまく進んでいくだろう。

ここ半年間、どんどん感染が広がっているなか、オリンピックで海外の人たくさん呼び込んでいるのはなんでだろう。なんで日本国民には「外出るな」っていう矛盾をまかり通そうとしているのだろう。そんなことを疑問に思った方は多かっただろう。インタビュワーの方々は、会見の時に何度もこの件を聞いてきたけど、曖昧な回答を続けていた。パッと答えられないのは、言いづらい何かの理由がある(外交とかね) のはわかるけど、その説明もなしに外出を禁止されるのは納得がいかない。支持率がどんどん下がっていったのは、そんなことがあったからだと思う。

これはオリンピック関連に関わらない話である。今回の件を通して、'論理的に話せるか'、'人を説得させるか' が大事になってきているのは間違いない。しっかりと通った論理的な意見は聞いた人に対して「確かに。」と思わせる強い力となる。反対に論理的でないと、「なんで?」がいつまで経っても終わらない。

論理的思考

必要なのは、Why に対してしっかりと答えられる「論理的思考な説明」である。ちゃんと理由を持って説明してくれれば、「そのメリットは確かにあるね。こんなデメリットもあるけど」っていう議論になるのだ。それぞれの方針、意見に対してメリットデメリットを一通り出して、最終的に コレだ!ってのを決められる。

意見A

メリット

  • 1
  • 2

デメリット

  • 3
  • 4

意見B

メリット

  • 5
  • 6

デメリット

  • 7
  • 8

上記に対し、

  • 案1. 意見A のメリットは確かにわかるけど、デメリットの "3" があまりにも影響が大きすぎる。より安全な 案B でいこう
  • 案2. 意見A は "1" という世界を変えられるくらいのチャンスがある。思い切ってやってみよう

あとはどっちにするかを決められるかどうか。ここまで説明してくれたら、どちらを選んだとしても、みんなが納得させることまで持っていける。ここから先は、その人を本当に信じられるかにかかっている。

ほとんどの場合、案1が選ばれるだろう。誰がやっても、それなりに進められるからだ。 もし案2 を選んだ場合、「この人なら確かにやってくれそう」っていう感情も含めてその人に任せられるような人が必須になる。今の日本全体として、案2を選ぶケースってのはほとんどないだろう。だからこそ、選べる人はチャンスってのがあるけどね。

論理的思考になる

どうすれば日頃から論理的思考を当たり前のように考えられるようになるのだろう?

私は、シンプルに「算数・数学」を学んでみることなんだと信じている。

そこで大事なのは、「単に覚える」ってことは絶対にしてはいけないということだ。これが当たり前になると、「昔から~なんだから、~ をすべきだよ」 みたいな、一見論理の通ってそうなことを永遠に主張し出すようになってしまうからだ。算数や数学が苦手な方は、この「単に覚える」ってだけをしてしまう傾向が強いように思う。

ものすごくシンプルな例で言えば、数学の掛け算だ。「4 x 4 = 16」 を「ししじゅうろく」 って口ずさんで覚えているだけの方がいたとしよう。流石にこれを忘れてしまう人は少ないと思うけど、もし仮に「ししじゅうろく」を忘れてしまったら、答えを導き出すことができなくなってしまう。数学は覚える教科ではない。「4 x 4 は、4人の集団が4つある。 4 + 4 + 4 + 4 を計算するのと同じ。それは16だ!」根本をしっかりと理解しておけば、口ずさんで覚えたもの「公式」 を忘れたとしても、答えを導き出せるのである。

算数・数学は必ず "答え" ってのがあって、それをどんな方法でも導き出せれば "正解" って世界である。単に覚える教科ではなく、理由を考えて最終的に答えを出していく考え方が、議論において同じように大事になってくる。普段の議論の中では、"正解" ってのはより曖昧なものだ。でも、算数・数学で答えを出すのと同じように、意見を論理的に流れをもって説明できれば、相手を納得させるところまで持っていける。反対に、相手の論理的な意見に対して、自分がしっかりと理解することができるようになるのである。

もし、どちらか or 双方 が 論理的でない「~~ だ!」を単に繰り返すだけの意見があった場合、一向に終わらない議論が続くだけになってしまう。最終的にどちらかが納得してないけど、諦めるっていう方針となってしまうのである。政治の世界で言えば、国民は納得してないけど強引に進んで、みんなに批判される っていう悲しい結末になってしまうのである。

そうならぬよう、論理的思考を算数・数学から学んでみるといいと信じているのである。

終わりに

今回は 完全に自分の思っていることを文にしただけで、この記事自体も、メリット・デメリットを話し合う必要があるかもしれない。でも、私はこう思うっていう意見を持つこと自体はとても大事なことである。先に進んでいくには、議論は欠かせないのだ。

納得して進んでいける社会になることを願いつつ、この文章の終わりとしよう。