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ボクココ

サービス開発を成功させるまでの歩み

「自分のために走れ」という言葉

雑談

ども、@kimihom です。

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私は中学時代に、ハンドボール部に所属していた。そこそこ強いチームで、中二の時は関東大会に行くくらいだった。だから監督もかなり厳しかった。私たちは部活でひたすら走った。んで、その監督がよく言っていたのが、「俺のために走るんじゃない。自分のために走るんだ。自分のために走れ〜い!」 ってセリフ。あまりに辛かったので、この言葉を聞くたびに、「いやいや、あんたに走らされてるんだよ」と思っていたものだった。

でも最近、その言葉の奥に隠された深い意味について考えさせられるようになった。

走り続けるおっちゃんの話

なんだかんだ言って、私は走ることは好きだ。だから、週に一回は近くのスポーツセンターのランニングコースで走っている。そこで、必ず毎回会うおっちゃんがいる。私よりは20は年上だろう。いつも一人で、なぜか裸足で走り続けている。彼はいつも電卓とストップウォッチ、そしてノートとペンを持ってきている。常に自分の記録を取り続けているのだ。

そんで彼がめちゃめちゃ速いのよ。いや、一時的に追い抜こうと思えば一瞬で抜かせるんだけど、すぐに疲れて彼のペースにやられてしまう。一応言っておくが、私も3時間4,50分でフルマラソンを走れるくらいには走れる。そんな私からも彼は早いとすぐにわかる。

彼のスピードに乗っけられてヒィヒィ走っている時に、私は中学時代の言葉を思い出した。「自分のために走れ。」そう、あのおっちゃんはまさしく自分のために走っているのだ。自分の記録を常にメモし、今日の自分より明日の自分という明確な目的を持って走っている。だから私に一時的に追い抜かされようが、私を追い越そうが関係ない。ただ、昨日の自分より上がったか下がったかを考えているだけなのだ。

対して私は走ることに対しては特に記録を取っていないし、何も考えずに走っている。ただし、そのおっちゃんがほぼ毎日いるもんだから、どうしても意識してしまうわけ。そうなると、どうしても自分のためというより、そのおっちゃんに抜かされないように、抜かせるように、といった自分ベースではなく、おっちゃんベースで走ることをどうしても考えてしまう。そして、それって明らかに辛いのよね。人と比べて何かをし続けると、物事を勝ち負けでしか判断できなくなる。負けた時は辛く落ち込むし、勝った時は目的を失う。そんな余裕のない精神状態に陥ってしまう。

"自分のために" 何かをしよう

幸い、私はプログラミングや Web サービスにおいては、ブログを書くことで自分と向き合っている。誰々の技術力が高いだとか、誰々のサービスが成功しているだとか、そんなことを意識することはない。黙々と、より良い技術力の向上と、より良いサービスを作るためにどうすればいいかだけを考えられている。

これってまさしく"自分の為"なんだよね。

あのおっちゃんが走るたびにノートに記録を取るように、私は何か新しい学びがあるたびにブログを書く。そうして自分を次なるステップへと向かわせることができているのだ。

自分の為にって考えると、辛いことも辛くはなくなる。その辛さは、自分の成長を生む活力にしてくれる。これが人にやらされているだとか、どっかの競合に勝つ為って目的になった瞬間に、それは自分の為じゃなくなってしまう。いやはや、人の心はおぞましいものよ。

常に向き合わなきゃいけないのは自分。そう言い聞かせてこれからも自らを高みへ持っていきたいと、そう感じた週末のランニングだった。

終わりに

あの時は意味わからなかったが、今ならわかる。そう感じたセリフって割と自分の座右の銘レベルの言葉になるよね。

自分のために走れ。私はこれからも走り続けたい。