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ボクココ

サービス開発を成功させるまでの歩み

私がリモートワークを続ける理由

ども、@kimihom です。

リモートワークとはオフィスに通ってデスクワークするのではなく、家や他の場所で働く働き方を指す。最近注目されている新しい働き方である。このような働き方が注目されてきた背景として、あらゆる情報がクラウドに保存されるようになり、私たちはインターネットにさえ繋がっていれば仕事ができるようになったから、というのがある。

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そんな働き方の変わる時代の潮目にいる私たちだけども、実際にリモートワークを実践している人ってのはまだまだ少ない。メリットがある反面、当然デメリットとかを挙げればきりがないのは確かにある。そこで、私が一人リモートワークを2年以上続けてみて感じていることをまとめてみよう。

リモートワークの適性は必ず存在する

あなたがリモートワークに向いているかいないか。これによって効果は大きく左右される。「会社に行くことで仕事モードになれる」みたいな人には当然のことながらリモートワークには向かないだろう。それと同じ感じで、人の目の見えないことを理由にサボるような人も当然ながら向いていない。

でも、ちょっと言い方を変えてみると、「できる人はリモートワークでもできるし、できない人は会社にいてもできない」ってことになる。生産性は、リモートワークによって変わるのではなく、働いている人によって変わるものなのだ。リモートワークのデメリットとして、コミュニケーションロスなどが一般的に言われているが、そんなのは大した問題ではない。今ではリアル以上にログを残せるチャットの方が重宝される時代だ。

周りに人がいればいるほど無意味な雑談する時間は増える反面、大事な話を面と向かってできる。リモートワークなら自分に集中する時間は増える反面、会って話すという機会は減る。一種のトレードオフではあるが、私にとっては後者の方が優れていると思う。"雑談を大事にする"などを言い出す人がいるけど、雑談なんて飲み会にでも行ってしてればいいのではないか。

一人リモートワークは強い忍耐力が必要だが、慣れを無くすことができる

一人リモートワークはなかなかの辛みがある。私の場合、ガチで一人暮らしのリモートワークなので、朝起きて眠るまで一人で黙々とPCで作業するってことも普通にある(リモートでビデオ通話などはするが)。そうした日々を1週間でも耐えられないような"人依存"の人には続けていくことはできないだろう。

そんなこと言いつつ、さすがに私もず〜っと続けていくのは辛いので、東京の実家に帰って会社に通うときも持つようにしている。実際のところ、この程よいバランスってのがベストなんじゃないか、と最近感じている。その背景にあるのは、「慣れの除去」だ。

慣れってのは怖いもので、集団の群れに慣れると集団生活が当たり前になり、集団から離れると途端に孤独を感じるようになる。反対に孤独に慣れるようになると、時たま触れる集団の心地良さやありがたみを感じる。さらに孤独になっても気になることはない。「慣れ」の感覚をできる限り無くすように意識すると、生活において居心地の良さを感じることができる。

"ありがたみ" を感じることができるってのは、個人的なリモートワークをする上での最大のメリットだ。

これから注目されるであろう集団リモートワーク

一人をずっと続けていく難しさはあるけども、適正でない人でも気分転換とか集中する時期に手中できる場所で仕事がしたい、などの思いはあることだろう。だからこそ、これからは集団リモートワークが注目されるに違いない。

例えば開発フェーズになったら、エンジニア集団が全員で同じ場所でリモートワークをする。いわば合宿のようなものである。集中すべき時と話し合うべきとでバランスよく生活スタイルを変えることで、自分たちのベストを出し続けることが可能だ。そういう生活スタイルの柔軟な切り替えは、間違いなく充実した時間になる。

課題としては、そのような集団でできるリモートワークのスペースがまだ限られているってことだろう。最近は千葉県や長野県、徳島県あたりが頑張っているような印象があるが、そんな感じで東京の外でリモートワークのできる環境が増えていけば良いと思う。その他の課題として、家族や恋人がいる場合に置いてくるようなことが出てくるかもしれない。集団リモートワークにはこれらの課題があるので、もう少し時代の流れと周囲の理解が必要になるだろう。

でもゆくゆくは、「気分を変えてその時のベストを出せる場所で働く」ということに重きを置くようになって、東京の立派なビルにオフィスを構えるような会社よりも、いろいろなところに拠点のある会社が好まれるようになるだろう。どんなに立派な都会のビルだって、慣れてしまえば普通のビルなのだから。

これからもリモートワークを続けるか? Of Course, Yes!

毎日の同じような日々にちょっとしたスパイスを。私はこれからもリモートワークを適度に続けていきたい。

言葉の美しさを研究する

言葉が美しいと感じる時がある。

選び抜かれた言葉、話の流れ、締めの余韻・・。美しい言葉で成り立った文章は読んでいて気持ちが良いし、文章から新しい想像力を得られることすらある。最近はそんな文章の魅力に惹かれている。完全理系型人間の私にとって、文学的センスとは無縁の世界だった。理系にとって言葉は人に正しく"事実"を伝えるためのツールであり、余計な表現をせず簡潔に伝える/伝わることが最も大事だった。私は事実だけを伝える技術書/ビジネス書を当たり前のように読み、このブログ記事も同様に簡潔であり続けていた。

やがてブログ記事をたくさん書いているうちに、良い文章とは何かを考えるようになった。読んでいて気持ちの良い文章、想像力が溢れるような文章とは何か。文章の書き方などの本を読んで勉強してみた。それと同時に、"良い文章とは何か" の観点で記事や本を読むようにして、表現の方法などを分析するようにした。「こんな表現はうちのブログにも使えそうだな」「この文章を読んでみて気分が良くなったな。理由を考えてみよう」。このように、記事自体の内容ではなく表現の分析が、今の私にとって本を読むときの一つのモチベーションになっている。

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言葉は奥深い。同じことを伝えるにしても、人の心を揺さぶるような文章になることもあれば、反感を買うような文章にすることもある。せっかく文章を書くようなことをするのなら、誰もが良い文章を書きたいと思うだろう。

志半ばの状態ではあるが、表現豊かな文章で見られる特徴について勉強したことを含めてまとめてみようと思う。

その時の情景や感情がうまく表現できている

そもそも理系文章であれば、"感覚" 的な文章は不要なものとされる。しかし、美しい文章には、読んだだけで想像力が掻き立てられる情景や著者の感情が自分にも入ってくる。このような目に見えない感情表現は、普段から色々な文学に触れていないとそもそも言葉として使いこなすことはできないだろう。だから色々な文章を読んでいい表現を体得していくしかないと考えている。

始めから終わりまで一貫している

いい文章は途中で話題が変わることがない。「A について書く」と決めたら、A に関する表現で文章の全てをまとめ上げている。途中他の話題が出てきたとしても、必ずそれは A に関連する話であり、Bが主役になることはない。一貫した文章は読者を混乱させることなく、読んでいて気持ちの良い文章となるのだ。

全てを書ききらない

文章は、人の想像力を掻き立てるサポートをするに過ぎない。そんな思いを持ちながら文章を書くと、あえて結論や結果を書かずに読者の想像に任せるようなことがある。当然 論文とかでこう書くと NG である。しかし感情を揺さぶる文章には、人の想像力を最大限引き出すためにあえて書かないというテクニックがある。

その想像力をかき立てるような文章に、人は心を打たれる。何回でも読み直したいような文章というのが生まれる。

良い視点を持っている

「吾輩は猫である。」そんな書き始めの文章が、何十、何百年もの時を経て読み続けられている。誰もが持っている当然の視点から生まれた文章ではなく、意外な視点から見られた文章というのは読んでいて新鮮さを感じることができる。

最近の表現で言えば"良い記事ネタ"ということかもしれない。皆がなんとなーく思っていたことが綺麗に文章化されていたりすると、「あ、これこれ〜」って感じで共感を生むことができる。生活の上で感じた感情をメモして忘れないようにすることが必要になるであろう。

今後のアクション

「こんなことを書いて、お前は小説家にでもなりたいのか?」と思われた読者もいるかもしれない。当然ながらそんなことは思ってないけど、ボクココは記事を読んだ後にそれぞれが考え・意見を持ってもらえるようなブログにしたいと思い続けている。

私は常に「A は B だ!」と断言し、さもそれが当然かのような書き方を"あえて"している。時には過激な表現で落ち込むようなこともあるかもしれない。しかし、そうではなくて記事を読んだ時に、「なるほどそういう考え方もあるのね。でも俺はこう思う」というような視点を持ち続けて欲しいと願っている。気が向いたらまたボクココに来て、記事を読んでいただけたら嬉しい。

今後ともよろしく、といった次第である。

Heroku Meetup への思い

ども、@kimihom です。

Heroku。私が今まで色々なサービスを使ってきた中で最も長く、そして愛し続けているプロダクトだ。Heroku は PaaS(Platform as a Service) と呼ばれる部類のクラウドサービスで、Web 開発者のサーバーインフラ構築やオペレーションの手間を限りなくゼロにしてくれるサービスである。Heroku のコマンドを叩くだけでサーバーが自動で作られ立ち上がる。サーバーで必要なことは全て Heroku が行ってくれるのである。 Heroku を使うことで私たちは顧客に価値を提供する Web プログラミングに集中することができ、開発者一人一人の価値を高めてくれる。

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2月22日に そんな Heroku の Meetup が開催される。Heroku 自体は Salesforce に仲間入りしてからはイベントの企画/開催なども Salesforce 側で行っていくことになっているようで、今回のイベント会場も Salesforce 社内で行われる。

herokujp.doorkeeper.jp

今回はイベント開催に先駆けて自分の思いを書いていこうと思う。

Heroku User Group との関わり

今年の 2017 年から、私は Heroku のイベントのお手伝いに参加させてもらっている。具体的には登壇して頂けそうな面白そうなテーマを持っている方に声をかけたり、時には自分が発表するなどで貢献していったりする予定だ。もちろん他にも手伝えることがあれば積極的にやっていく次第である。

なんでここまで積極的にやるかって話だけども、一つは私自身が Heroku の大ファンであるというのがある。そのプロダクトに貢献したいっていう純粋なモチベーションがこのプロダクトにはある。また、 Heroku で Web サービス開発が成功する事例ってのをどんどん増やしていきたいし、可能であることを証明したいってのがある。私の運営するサービス CallConnectもそのうちの一つとして Heroku を使い続けている。Heroku を使えば、もっとたくさんの少人数開発者が Hero になれるはずだと思っていて、私のモチベーションの根幹には"開発者が Hero になれる土台を作る"というのがある。

個人的に目指したい方向性

私としては、Heroku の活用事例として素敵な Web サービスを運営している企業に登壇していただいて、サービス開発の背景や理念をベースに、なぜ Heroku を選び今も使い続けているのか。今後はどのような開発をして会社を経営していくのか。そんな開発者だけでなくてビジネスの方向性も考え合えるような Meetup になったら素敵だな、と思っている。

Heroku を使う開発者は、どちらかというとビジネスセンスのある方だと思っている。「特定の技術を極めてエンジニア界隈で名の知れた人物になりたい」というのではなく、「自分の作ったサービスで、より多くの顧客を喜ばせたい」というモチベーションが高い人のはずだからだ。でなければとっくにインフラ構築も自前でやるぜ!みたいなプラットフォーム(IaaS) へ移ることだろう。巷で開催される多くの勉強会は、どちらかというと技術を極める玄人気質の濃い勉強会が多く、初心者がなかなか入り込めずに行っても得られるものがあまりないってパターンが多い。Heroku はその反面、「この技術を極める」っていうテーマは存在しない。色々なプラットフォームやアドオンを組み合わせて自分の作りたいサービスを作れるっていうものなので、極めようがないのだ。私はそこが返って Heroku Meetup を運営していくには利点になっていると考えている。

開発者ってのはやる気があればみんな勝手に勉強して作り始めるものなのだ。その「やる気を生み出す根源」こそが、勉強会に行って一番持って帰って行ってもらいたいところ。この点を今後は意識して、勉強会に携わっていきたい。

もし共感するテーマがあるって方がいれば連絡いただきたい。ぜひ会って話したいし、発表も今回のでなくてもいいのでいつかして欲しい。

2017年は Heroku の年。2017年が終わる頃に本当にそうだったよね、と言えるような状態にしていこう。

初めて給料が出た日

スタートアップ

ども、@kimihom です。

私の会社は外部から一切資本を受け入れず、また借り入れも一切しない経営(ブートストラップと呼ぶ)をし続けてきている。さらに受託開発を一切せず、自社のクラウドサービスにフォーカスし、ひたすらサービスの改善とサポートを続けてきた。

そして2017年1月10日の今日、初めて給料が出た。起業してから2年9ヶ月目での出来事である。

顧客が自社サービスを使ってくれて、支払っていただいたお金がそのまま給料として得られるようになったというのは、私にとってかけがえのないことだ。給料が出る状態になったということで、もはや新規顧客獲得を意識する必要はなくなった。サービスを使っていただいている顧客が満足して使い続けていただけるようなサービスを提供し続けることだけにフォーカスすることができる。"第三者" からとやかく言われることなく、自分たちと顧客の幸せだけ に力を注げる状態になった。これは自己資本でサービスを運営しないと達することのできない領域だと思っている。

会社としては、引き続き「愛される企業を増やす」というミッションによりフォーカスをしてサービス運営を続けていく次第だ。

ちなみに(初)給料は親にほとんど渡した。今までお世話になったし、"本当の給料" を出せるようになったということの感謝の意味も込めて。

SaaS ブートストラップ

自分の作ったサービスだけで食べていけるようにいきたい。私は5年以上も前からそう思っていた。どこかの誰かが稼いできてくれた or 出資してくれたお金を給料としてもらう状態を嫌がり、自分の作ったサービスで顧客が満足して支払って頂いたお金で生活したいと思っていた。

良いものを作れば、顧客はそれに満足してお金を払ってくれる。そんなシンプルな関係を目指した。そのためには、当然顧客に満足してもらうツールを作らなければならないし、何より自分たちが満足できるツールでなければならなかった。2年9ヶ月の間、自分の貯金を切り崩しながらでも自分の理想だけを追い続けたサービス開発の日々だった。

自己資本だけで SaaS サービスを軌道に乗せることはできるとここに証明しよう。私たち(3人)の場合はサービスのローンチから紆余曲折を経て1年半かかった(そのさらに1年ほど前に個人で他のサービスをローンチしていて、それはクローズした。計2年9ヶ月)。これは他の同様の目標を目指す方にとって一つの参考情報になるだろう。

私たちはこれからも自己資本で運営する SaaS ブートストラップとして活動していく次第だ。また、私たちと同じように自己資本で SaaS サービスの開発運営にチャレンジする企業を応援/支援するようなこともしていきたいと考えている。

終わりに

今日は一つの区切りに過ぎないけども、改めて支えてくれた仲間、関連企業の皆さま、そして顧客の皆さまに感謝します。これからもより良いサービスを目指し開発運営を続けていきます。

1月10日 熱海にて

夢の正しさ

パチンコ王に俺はなる。友人は冗談交じりにそう言った。

楽して儲けたいという風潮の中、投資/ギャンブル/風俗などは手軽に始められて稼ぐことのできる方法だと一般的に認知されている。とりわけインターネットの世界ではアダルトサイトの広大さは計り知れないものがある。これらは依存性の高さに、国がたくさんの法律で固めているが、彼らは法律のギリギリのラインを超えないように日々頭を凝らしながらやっている。 基本的に金儲け主義の人は楽して稼ぐってのがセオリーだ。すぐに始められて、すぐに利益が出るもの。他の誰もがやっていないような"発想"や始めるタイミングの違いで勝負する。いいアイディアやビジネスを見つけた時の彼らの渾身の笑顔は、希望で満ち溢れている。

私はハッとした。ボクココでは常々夢に向かって努力し続けることの大切さを説いてきた。彼らもまた、夢を持って努力しているという人の一人ではないか。

それ以来、私は「夢を持つだけではいけない。"正しい夢"を持つことが大事なのだ」と感じるようになった。

ここで正しい夢について私の表現と近い名言をご紹介する。

松下幸之助『世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるということをやったら、必ず成就します。』

「世の為」となると、関わる人全てにとって有益なことをしなければならないのがポイントだ。「人の為」ってだけだと、先ほどのギャンブルや風俗なども含まれてしまう。ギャンブルや風俗の利用者だけを見れば有益に見えるが、家族や関係者にとっては有益なことではない。

「ひいては自分の為になる」というのは、世の中に貢献しているという自負を持って物事をこなしていれば、それが自分の幸せにつながるってことだ。人の幸福ってのは「誰かの為になっている」ということで得られる。自分と目の前の人だけ楽しんでいるような状態ってのは、単なる娯楽に過ぎない。"楽しい"と"幸せ" は根本的に異なることだと私は考えている。

つまり正しい夢とは、「世の為、人の為になり、ひいては自分の為になる」ようなことを目指す形だ。世の為になるってんだから、簡単に早くそれを実現できるはずがない。だから短期的な利益や欲を望む人にとってはたどり着けない領域なのである。

世の中に貢献する人間に俺はなる。私は心の中でそう誓った。

Rails の フロントエンド周りの未来予測

Rails

ども、@kimihom です。

Rails の SprocketsUglifier などが最新の JavaScript に追従していないという理由で、Rails 標準のやり方から外れて最新のフロントエンドツールを追い求める系の報告が多い。一部では完全に Rails の Asset Pipeline から外れて、Gulp などに移行する話もよく聞く。確かに現行の Rails のフロントエンド環境で開発すると、let や クラス構文をまともに使えない(エラーになる)ため、最新の構文に対応した JavaScript フレームワークはほとんど使えないのは大きな問題として残り続けている。

最新版である Rails 5.1 から、ようやく jQuery からの脱却とフロントエンド周りの最新化、つまり Yarn や Webpack の導入が検討され始めている。これに期待されている方も多いのではないだろうか。

Rails5.1に向けてフロントエンド周りで起こっている革命まとめ - Qiita

そもそもこんなにフロントエンドの話題が盛んな今、なぜ最新を行くはずの Rails はここまで遅いのだろうか。

CoffeeScript と Turbolinks

Rails としては、「CoffeeScript を使え」というのが答えのようである。これを使えばクラス構文など、既存の JavaScript で抱えていた問題をよしなに解決してくれる。

Rails としてはそれに Turbolink を組み合わせれば、SPA も作れるのだ。今までの Rails のレールはそこにあったのである。 Rails 5.0 でもその思想は変わらず、よりモバイルフレンドリーになった Trubolinks を推奨していた。

Rails5 が示したサービス開発の新しい指針についての考察。

本来であれば、私たちはこれらを使うべきだったと言えるし、Rails 5.0 までは CoffeeScript と Trubolinks の組み合わせが Rails の答えだったのだ。

Rails 5.1 で変わろうとする未来

かつて Rails がデフォルトの JavaScript フレームワークを prototype.js から jQuery に変えたように、Rails 5.1 からついにフロントエンドの最新に迫るようになった。これは最近のフロントエンドの流れに反応した結果だ。CoffeScript や Turbolinks ってのを Rails 5.0 までは推していた私も、Rails 5.1 からは標準ではなくなるのはほぼ間違いないと考えている。

ようやく対応が始まってきたのには大きな理由がある。現時点でのあらゆるブラウザが、 JavaScript の最新仕様に対応していないからである。Rails が最新の JavaScript に対応しようとすると、Babel など最新の JavaScript 仕様に対応できていないブラウザに対応するためのコンパイラが必要になってしまう。これらの煩わしさから解放されるには、ほぼ全てのブラウザがデフォルトで JavaScript の新仕様に対応してもらう必要がある。

Rails 5.1 が一般的に普及する頃(1, 2年後)には、この問題が解決されているだろう。だからこそ Rails は今このタイミングで最新の JavaScript 対応に着手し始めたと考えられる。

Rails エンジニアが今すべきこと

そんな中で Rails エンジニアはどう行動していけば良いのだろうか。

まずは Rails 5.1 に向けて、JavaScript の新仕様にはしっかりと追従していく必要がある。具体的には クラス構文, Promise, などの ES~ 系のJavaScript の新仕様, Web Component などの HTML5 などである。これらは React のような JavaScript フレームワークの仕組みではなく、ブラウザ標準のHTML仕様として今後普及していくものだ。これらをマスターしておき、Rails 5.1 に向けて備えておきたいところである。それらが一般的に普及すれば、プロジェクトによっては React っていらなくね?って話になる可能性もあるから、基本をまず抑えておくことは本当に大事なことだ。

大規模な SPA を作る必要がない場合、Rails 5.1 が一般的になるまでは jQuery Rails で全く問題ないと思う。Rails の form_for とそれに連動する値セット/検証や I18N の仕組みは一級品だし、jQuery のエコシステムは膨大だからだ。やがて jQuery 依存のライブラリは、純粋な JavaSciprt だけで書き換えられるようになっていく。そうなった時に、今の jQuery プラグイン縛りから解放され、jQuery からも外れられる。事実、 jQuery Rails は既に jQuery の依存をなくす実装が進んでいる。1, 2年後には jQuery を使う理由(クロスブラウザ)なんてのはなくなって、Query Selector API などの新仕様を使えば良くなるのだ。(jQuery はすべて置き換えられるってのを紹介している記事もある)そんな未来が 1,2 年後には間違いなくやってくる。

ちなみに現在の Rails のフロントエンドの仕組みがどうしても嫌だ!っていう場合や、フロントエンドとバックエンドを完全に分けたいという強いこだわりがある場合は、 Rails を Web API としてだけ使うやり方は大いに考えられる。だけども、そんなことするくらいならバックエンドを Rails にするって選択は無いなぁと思ってしまう。だったら Go とか Scala, Elixir とかの方がよくね?って話になるからだ。「サーバは API だけの作りにして、あとはフロントエンド(JavaScript / Swift / Kotlin)に全部やらせたい」って考え方の人は、他のフレームワークの方が要望を満たせると思う。適材適所でフレームワークの利用を検討すべき時が来ている。なんでもかんでも Rails ってのはやっちゃいけないパターンだ。

Rails は引き続き動的な HTML レンダリングが中心のフレームワークのままやっていくことだろう。.erb の世界である。スマホアプリもWebView 中心の作りにすれば、素早く修正を反映できて高速な開発が可能になる。

終わりに

私としては今後、スマホアプリは WebView 中心のものになっていく感が高まっていくと思っていて、Rails の方針には賛同している。ただしその障壁として iOS の HTML5 対応が遅いので、今後は iOS が従来の IE のような存在になっていくと考えている。となると、日本の iOS ユーザーの比率が高いということがネックになり、またもや日本だけ IE 対応をしていた時のように iOS 対応をしなければならない未来ってのを予測している。こういうのは Web エンジニアの宿命なのかもしれない。

何はともあれ今後の Rails と HTML5 界隈の話から目が離せない。

追記

はてぶコメントありがとうございます。しっかりと読ませていただき、良い気づきを得ることができました。

ストイックな精神

ここは元旦明けの東京・人形町。町は新年のセールでたくさんの人で溢れかえっている。私はカフェ店内の陽の当たる席で、残り少ない新年の休みを過ごしている。

辺りを見渡すと、少なくとも 3割以上の人が黙々と作業をしていた。ある人はパソコンを開いてじっと見つめていたり、ある人は本を並べて一生懸命にペンを進めている。わざわざ一杯 300 円もするコーヒーを買い、雑音の聞こえるスペースで作業をしていた。そんな一見すると非効率なことを求めてやってくる人々の中で、私もその一員としてまさに今、筆を進めている。

カフェで作業する人は、単に家でやっていると寂しいからという単純な理由ではなさそうだ。家でコーヒーを作る方が安くて美味しいものができあがるし、家の方が落ち着いて作業ができるに決まっている。一見すると矛盾な行為を、人は「あえて」行っているのではないか。合理的に考えれば非効率なように見えることを喜んでやっているように見える。

あえてカフェに来るということはストイックな精神の表れだ。目の前の快楽を捨て、しきりに自らの理想を追い求める姿がそこにある。一見非効率に見えるこの作業が、いつかは実を結ぶと信じてやっている。カフェで作業する人たちに対して私はそんな仮説を立てた。

私もあえてカフェにやってきているストイックな人間の一人である。振り返ると、私はこのストイックな行動にすっかりと染まってしまった。企業に勤めていた3年前、私はとある人と出会った。彼はタイピングをするのに、指に5kgもする"おもり"をつけてタイプしていた。タイピングし辛くなって作業に支障が出るにもかかわらず、彼はあえてその行為を行っていた。端から見れば「バカでしょ」で済まされる話なのだが、当時の私は彼のストイックな精神にすっかりと心を奪われてしまったのを覚えている。私は彼から自分をあえて苦しめる筋トレと、その苦しみの先に発生するゴールデンタイムの存在を知った。彼と一緒に真冬の公園で遊ぶ子供達の傍らで鉄棒で筋トレを一緒にしたりもしたし、仕事の作業を空気椅子で行ったりもした。そんな体験を通して私はすっかりストイックな精神に心を奪われてしまったのであった。

私は今でもあえて熱海へ一人で出向き孤独と向き合いながら仕事を行っている。気分転換するときは、熱海のビーチで愛し合うカップルを横目に、私はビーチを駆け抜けている。そして今まさにあえてカフェに一人で来ることで、筆を進めるパフォーマンスを導き出している。

さて、冷静になって現代の状況を俯瞰してみよう。"モノ"が揃い過ぎて思ったことが何でもできるようになった今、「お金さえあれば何でもできる」という考え方が人々の中で染み付いてしまったように見える。お金に執着が生まれるようになると、目の前のお金だけを求めて動くマネーモンスターに変貌する。そんな価値観に染まった人たちは、どこかがっついていて落ち着きがない。常に誰かと自分を比較している。ちょっとしたお金儲けの話をしだすと目を輝かせて飛びついてくる。そんな人たちを目にすることがある。

私は思う。そんなに人やお金にこだわって何でもできるようになった先に、あなたの実現したい未来はあるのか、と。何かがあったとして、その状態があなたにとって本当の幸せなのだろか。人と比較して優越感に浸るような価値観の人生は、いつでも妬みが原動力になっている。そして、その妬みの連鎖が、終わりのない欲望の渦に飲み込まれていく。

なんでも揃った現代において必要なのは、他人と比較せず、自分を磨き続けるストイックな精神そのものだ。目の前の欲望に左右されず、自分の芯を貫き、磨き続ける。合理的な行動に見えることを "あえて" 嫌い、他から見れば非効率に見えることを"あえて"行うのである。そんな心が、私たちを更なる高みへ連れて行ってくれる。

仏教的な話で言えば、目の前の欲望は"煩悩"そのものだ。この時代には煩悩が溢れかえっている。そしてその煩悩にいとも簡単に染められてしまう。だからこそ私たちはあらゆる煩悩を自らの意思で(あえて)取り払わなければならない。取り払った先にのみ、磨き上がった"芯"が生まれるのだ。それが"悟り"の境地である。この考えは、どんなに時代が進歩したとしても変わらない真理だ。

カフェで作業している人たちは、"あえて"カフェにやってきて自らを奮い立たせている。その光景はまさにストイックの精神を体現した戦士たちである。そんなことを考えたら、私はカフェで作業する人たちの夢と希望あふれる行動について、仲間として賞賛したくなるのである。周りの騒音の中一心不乱に作業している人たちを見ると、日本もまだ捨てたもんじゃあないな、と感じる。

暖かい日差しは夕暮れになり入らなくなってしまった。私は席を立ち、肌寒い外へと繰り出した。