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ボクココ

サービス開発を成功させるまでの歩み

日本のデザインはなぜ酷いものなのかを考える

雑談

ども、@kimihom です。熱海は花火大会が週に一回は開催されていて、夏真っ盛り。

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今回は興味深いテーマの 2ch まとめがあったのでそれについて。以前私も考えたことのあるテーマだった。

blog.livedoor.jp

日本はなぜグチャグチャが好きなのか

基本的に日本のモノってグチャグチャしたものが多い。多ければ多いほどいいという考えに固執しすぎなものが多く見受けられる。私は以下の2つが日本の根本的な考えとしてあるように考えた。

保身的な考え方によるもの

例えば、公園や施設の看板。「〜をしないでください。」が10個以上羅列されている。こんなの誰が読むのかって思うんだけど、どこもかしこもルールで縛られている。それはきっと読む人のことを考えているのではなく、後々トラブルになった時に「ここに書いてあるだろ」と自分の正当性を証明するためのもののようである。ただこれは割と大事な考え方でもある。アメリカのように裁判を四六時中行うのを防ぐ効果があるのだ。

改善の勘違い

日本のあらゆるデバイスやモノなどは高機能で勝負してきた歴史がある。"全てはこの中に。"っていうキャッチコピーが最適な商品ばかりが作られてきた。今まではそうしてうまくできていたという時代があったのだろう。特に日本人は真面目で勤勉なところがあるから、新しい機能を使いこなすように学んでくれるというのがあるように思う。それが従来の機能追加という"改善"って言葉とうまくマッチしてきたのだろう。

しかしここで重要な観点がある。「ほとんどの人はその機能は使わなくて、メインの機能だけを使っている」のである。ほとんどの人にとって多すぎる機能はぐちゃぐちゃしたものという印象しか与えることができない。ほとんどの人は新しいものを使おうと思うどこか知ろうともしない。デザインってのの日本語がないのは、そもそも日本にそういう考え方がないからなのではないだろうか。

デザインを重視する社会へ

先ほど挙げた 2ch まとめのように、若い人たちを中心に機能よりも美しさを重視する傾向が高まってきている。それは iPhone の登場や海外の Web サービスがどんどん日本にやってきたことが起因していると思う。

Twitter を見てみてほしい。あれだけ長く運営されているサービスであるのに、トップにはタイムラインと必要最低限のボタンとツイートするエリアしか存在しない。日本人が同じようなことをすると、mi◯◯のようなサービスになるのである。

では、そこで日本のサービスや製品の開発者に必要なのは何なのだろうか?

ぐちゃぐちゃになる根本にあるものを断ち切る

ではどのようにして断ち切らなければならないのか。それは自分の信念を信じて 顧客に No ということ だと私は考えている。顧客志向ではなく、自分たちの信念思考のサービスや製品を作らねばならない。

基本的に徐々に複雑になっていく原因は、日本人の No と言えない「優しさ」なのだ。〜さんが欲しがっているからこの機能をつけようというものが繰り返し発生してしまう。つまり自分たちが目指す方向ではなく、"ほんの一部" の顧客のいうことを優先してしまう。自らが自分の製品の今後を考えず、言われるがままに機能を追加していってしまうのが根本の問題だ。それを誰も否定できない。それは、製品に対する信念がないからに他ならない。

公園のたくさん書いてある禁止看板も同じで、ほんの一部の人たちが過去に迷惑をかけたというだけで、そこに注意書きとして新たに記してしまうのである。公園は何のためにあるのかを考える前に、ほんの一部の人たちの対策のことしか考えられていないのだ。

デザインの力

これからはみんなが根本、あるべき姿を考えて、それに沿った行動をすることが求められているのだと思う。ルールに縛られて身動きが取れないような環境で生活するより、それぞれが自由に楽しめる環境の方が私は好きだ。

ただ自由になりすぎるとトラブルがまた増える原因にもなるので、そのバランスを保つことが重要なのかもしれない。な〜んてことを思った。