ボクココ

個人開発に関するテックブログ

"不可避な流れ" と "伝統を守る" ことのバランス

ども、@kimihom です。

f:id:cevid_cpp:20180528232509j:plain

今日はコミュニティの飲み会的な場に参加させてもらって、色々とあーでもないこーでもないと語り合って楽しい時間を過ごしたのだけど、その中で私が感じた不可避な流れの中で、特に日本における反例について考える機会があったので記事に記す。

海外では当たり前のように使われているサービスが日本で流行らないのは時代遅れなのか

海外では既に Uber や Airbnb などのシェアリングエコノミーが当たり前のように使われていて、中国ではホームレスですらキャッシュレスの支払いを受け付けているようである。

海外の当たり前を味わって帰国した時に、日本の時代遅れ感に危機感を覚えるのは正しい感覚だ。そしてその新しい当たり前を日本でどうやって普及させていくかを考えていくこと自体も何も悪くない。それによって、最終的により便利な社会になるのであれば、やることにとても価値があることのはずだ。そういう意味で、海外で成功した 例えば シェアリングエコノミーを日本に持ってきたり、海外で成功したサービスを日本で展開するってのは社会に対していい影響を与える可能性を秘めている。

そんな流れの中で、日本で Uber がまともに使えないのは政治のせいだだとか、いつまで経っても現金主義が抜けないのは時代遅れすぎてヤバイだとか、そういうレポートを中国やアメリカに行って来た人から耳にタコができるくらい聞かされている。

そんな話の中で思ったのが、「日本ってのは昔の文化や伝統を守り続けることに長けている国」であるという歴史や事実があるってことだ。どう考えても疲れるだけの舞妓さんの身のこなしであったり、外からみたらなぜ存在するかわからないお城や人形が今も残り続けているのである。日本はそうした文化を守り続けたことによって、よその人が一見すると"何の意味があるの?" って思われそうなものでも大切に残り続け、それが逆に日本の特徴として海外から注目されるようになっているケースが少なくない。

日本の暮らしの不便を本当に解決しているのか

例えば Uber を見てみると、日本では当たり前のようにタクシーがどこにでも走っているし、ぼったくられるような心配もないし、(US とかに比べると)割と綺麗である。都内であれば電車があれば何処へでもいくことができる中で、Uber のような運転のシェアリングエコノミーが必要だと思うようなケースがほとんど起こらない。これは、日本の公共交通手段の改善の賜物だと思うし、それ自身が日本で誇らしい文化であるように思う。これが反対に海外ではタクシーの質は悪いしぼったくられるし、電車も汚いわ時間通り来ないわで最悪だったってわけだ。それを解決するためのスーパーヒーローが Uber のようなシェアリングエコノミーだった、と考えると日本で普及しない理由がよくわかる。そうした背景を考えずに、ただ単にアメリカ帰りの誰かさんが「日本で Uber のようなシェアリングエコノミーが流行らないのは時代遅れだ」という主張を聞いたところでなかなかその主張に納得できるものではない。

こんなことを話すと、必ず「海外から日本にやってきた人は確実に不便に思うだろ?」という反論が出てくる。まさにその通り!でも、その不便さを逆に日本の文化として割り切るってのも逆に面白いと思った。まさに"郷に入っては郷に従え"で、日本に来て全てをクレカ決済を求めるのは違う、と。日本に来たなら日本の綺麗なお札と、1万円出しても誰も怒らずにちょうどお釣りを用意してくれて、お金が盗まれるような心配もほとんどないような文化を知ったなら、逆に日本の素晴らしさを改めて知るきっかけになるのではないか。

悪い言い方をすればガラパゴス化だ。そしてその古いやり方が、いつの間にか日本の文化や伝統になって、舞妓さんやお城といったものと同じように文化として残り続ける可能性があるのではないか。そんなことを考えてみると、逆に「最後までシェアリングエコノミー等々の海外の常識が発展しなかった国」として意地を張り続けるのも面白んじゃないかなんて風に感じた。

全員がというわけではなく、あくまでバランスを

この件に関して、「日本国民全員が海外の当たり前を否定すべき」といっているわけでは当然ない。伝統を重んじる日本でも、当然廃れていったものもあるし、新しく取り入れた部分もある。

でもあからさまに「海外では~が当たり前なのに、日本は~じゃなくて終わっている」っていう考え方や論理立てをすることは違うんじゃないかなってところ。残り続けている部分で本当に素晴らしい日本の技術があるわけで、それを大切にし続けるからこそ今の日本の立ち位置があるのである。

そんなことを思いながら最新テクノロジーを駆使して次なる文化をどう作り出そうか考えていた月曜の飲み会だった。