ボクココ

サービス開発を成功させるまでの歩み

許可ではなく謝罪できるチームへ

ども、@kimihom です。

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許可を求めるな、謝罪せよ

というエンジニア界隈? ではとても有名な言葉がある。私もこの言葉に共感することが多いので、自分なりにこの言葉の意味することを記してみる。

許可を求めて働くだけの楽さ

部下A: 「~をやっていいですか?」
上司B: 「いいよ」

上司B: 「~を来週月曜日までにやってもらっていいかな?」
部下A: 「わかりました」

仕事でよくみる光景だろう。B はちゃんと "仕事を管理" しているという実感を得ることができる。

A はBに言われたことをしっかりとやればいい。

しかし、A はこの言われ方に慣れると、言われたことだけをする仕事人になる。逆を言えば、A は B から言われたこと以上のことは何もしなくなる。その方がBの意思に合わないことが起きないからである。Bにとって許可を求めるだけってのは純粋に楽なのである。

これは組織が大きくなればなるほど起きやすい。上司B の役割を持つ人が上司、中間管理職、管理職、役員と、どんどん増えていくからである。

なぜ 許可を求めずに謝罪するか

では「許可を求めるな、謝罪せよ」では、上司にとって仕事を楽にさせる 「許可をする」ってことをなぜ否定しているのか。

それは、先程の A は B から言われたことしかしないので、それ以上の成長が何もないからである。A は "Bの満足する程度" のレベルまでしか成長しない。

では B が以下のように言うとどうなるか。

A: 「~ をやってみていいですか」
B: 「君に任せる。君の失敗は私が責任を持つ」

こう言われた A はどう思うだろうか。A は全力で自分のやろうとしていることに "チャレンジ" するだろう。B に期待されているので、より頑張ろうと思える。B の持つ強力な意思で、仕事ができるようになる。

しかし、上司 B がこの発言をできるようになるには、A, Bのお互いの信頼関係が必須だ。もしかしたら A がやっていることが全く筋違いだったってこともありうるし、最終的に A が達成できなかった結果となる可能性もある。

だからこそ、「謝罪せよ」って言葉が出てくるわけだ。A が自分から進んでやってみて、それが失敗に終わった時は素直に事実を認め謝罪する。B はその失敗を認めるか認めないかとなる。(もちろん謝罪を認めるべきだけど)

こんな環境で仕事ができると、A は B すら知らない世界へ足を踏み入れチャレンジすることができる。Aは自分の意思で新しいことを知り続けることができ、"社内" ましてや "業界" の中で、新しいことの発見や実現をすることが最終的に可能なのである。

私の経験

幸運なことに、私は大企業にいたときも、許可を求める必要のない直属上司と仕事ができた。

彼は、私を信じてくれて Android アプリの開発の全てを託してくれた。私自身は当時、Android アプリの経験がほとんどなかったけど、本気で Android を学び開発することができた。例え私が1日中 調査だけして日が終わってしまったことがあっても、上司は「仕事の成果はなかったけど、その学びが成長させ、明日がもっと明るくなるよ」と言ってくれた。最終的に、その Android 開発プロジェクトは予定していた全ての機能を予定期間内に実現でき、無事にリリースすることができた。この場を借りて当時お世話になった S さんに感謝したい。

そこで自信をつけた私は、一人でサービス開発を始めるようになった。そして今でも自分からのチャレンジによって新しい機能ができあがっていく。

終わりに

  • 指示待ち人間は上司にとって操作が楽だけど、上司の思い以上の成果は出ない。
  • 自ら行動できる人間は 上司の期待にそぐわない結果になるかもしれないけど、上司の期待以上の結果を出すこともある。

あなたはどちらの仕事環境を望むか。

私は後者であり続けよう。私はチャレンジをし続けるし、同僚に信頼をおこう。何もしなくて失敗しないことより、何かをして失敗することを良しとする。それが会社の、私自身の成長につながると信じて。